あとりえKOJUNは、平成8年から石に関わる文化活動として立ち上げ、現在に至っております。
私共の活動主旨は、中国石材の流通が激増し、日本の石材業及び石工職人の仕事が激減している中で、日本の石工職人の仕事を作り、手仕事の技術を次世代へ伝える事です。
今日の様々な合理化・工業化は、日本社会の経済成長に大きな功績を修めました。
しかし、職人から手仕事を無くし『合理的』という言葉とお金で、人と人の間にある道徳を曲げてしまいました。
それは、沢山の問題を抱え、偽物に溢れた現代社会の原因であると私は考えます。
そんな現代社会においても、職人の仕事にある職人道は、先輩を敬って技術を習うのです。その技術から生まれる作品を通して、先輩から後輩へ仕事に対する考え方と技術を伝える事ができるのです。それが信頼ある人間関係で、人と人の係わり合いに良い影響を与えているのです。時には苦しい場面がありますが、この活動が社会に貢献できる事を信じて頑張ってまいります。

あとりえKOJUN 主宰 壺井宏純

 
これまでの活動略歴
1945年 大阪府南河内郡太子町に生まれる
1969年 父親、兄弟と共に恵那興産を設立
1991年 (株)恵那興産代表取締役として運営
- 石を素材として水鉢、灯などの創作活動を始める
1993年 東大寺伊賀別院新大仏寺山門墓壇工事
1996年 個展「第一回KOJUN展」artspot空
- アトリエKOJUN®事業部発足
- 住吉大社かがり火フェスティバル‘96
1997年 壺井八幡宮燈籠を修復・奉納
1998年 個展「第二回KOJUN展」artspot空
- 大安寺露路を修復
1999年 個展「第三回KOJUN展石庭やまと」
- 東日本ハウス(株)やまとプラザ東京
2000年 個展「第四回KOJUN展石展」artspot空
- エキスポランドガーデンフェスティバル
- 作庭―籠―出展
- OM環境設計・あとりえKOJUNガーデン植花夢で共同展示会
- ファイヤーフェアリー発表
2001〜2003年 和宗総本山四天王寺本坊庭園改修工事「極楽浄土の庭」
2004〜2005年 壺井八幡宮源朝臣義家公歌碑の石庭
2006年 桜珈琲の石庭(堺市西区鳳西町)
2007年 桜珈琲岸和田店の石庭(岸和田市中井町)
2007年 上島珈琲寺町店 中庭計画 (京都市中京区寺町)−2007−
2007年 長田神社 表参道大鳥居前 長田型宮燈籠 設計・製作・据付工事(神戸市長田区)−2007−
 
 

 

新大仏寺大門基壇石工事-1993-
伊賀成田山後鳥羽法皇勅願寺新大仏寺
新大仏寺大門
  新大仏寺は奈良東大寺再建大勧進の高僧、俊乗坊重源上人の開基によるお寺です。仏師快慶作の「毘廬舎那如来坐像」が、ご本尊で、古来から阿波の大仏さんとして広く親しまれ、多くの参拝者で賑わっています。

この大門は、新大仏寺の松本昇年住職が開山八百年の記念事業として建立されました。そして、私共も記念事業に恥じないような石の仕事として、一切、薄い板状の石を貼る事はせずに、全て無垢の石を使った組構造の石工事をさせて頂きました。(写真1,2,4,5)又、仕上がってしまうと柱の下敷きになって、ほんの少ししか見えない礎石は、これから先、何百年経っても崩れる事がないように、地面より下へ深く埋められているのです。(写真3,6)
1.羽目板
 
2.階段
 
3.礎石
4.羽目板仕上がった状態
 
5.階段
 
6.礎石仕上がった状態
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個展「第一回KOJUN展」-1996-
artspot空
水鉢「麿の沓」石:ベルファースト
 
景石「雲竜」水鉢「麿の沓」
水鉢「麿の沓」石:ベルファースト
 
水鉢「こっぽり」石:高麗鞍馬石
水鉢「麿の沓」石:ベルファースト
 
水鉢「アルハンブラネロ」石:ベルファースト
  
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展示・講習「かがり火フェスティバル'96」-1996-
住吉大社
弊社展示
一人目受講者作品
二人目受講者作品
三人目受講者作品
    「伝統工芸・匠の技」体験教室『縄遊び』と題しましたこの度の作品の展示、及び講習は、一般の来場者の方から参加者を募集して実際に庭造りを体験してもらいました。

開催当日は1名が受講されました。まず最初に、しゅろ縄の結び方を覚えて頂き、敷地を仕切る四つ目垣を製作して頂きました。次に、手水鉢を据付けて、その周囲に庭石を配し、最後に玉石をつかって地面に桜の花びらの形を造形されました。作業が終わってから出来上がった庭を眺めて、御自身の感覚で庭を表現できたことに大変満足されていました。

2日目は、日曜日という事もありまして、午前に1名と午後に1名で合計2名の方が体験教室を受講されました。最初の方は、ご本人が建築関係の仕事に携わっていらして、手際よく金閣寺垣を製作されました。その次に、自然石の手水鉢を中心に前石、手燭石、湯桶石を組み「蹲居」を造られました。本職の職人も感心する程良いできばえでした。

午後から受講された方には、まず、御自身が何を造るのか?また、何を造りたいのか?を考えて頂きました。そして、庭園の図面、石組の写真や資料を見て頂いたり、御自身が旅先で感激された風景を思い起こして頂くなど、庭造りのイメージを決めてから作業に取り組んで頂く様にアドバイスをさせて頂きました。その結果、繊細な光悦寺垣が手前から奥にすっと延び、そこには遠景の山を見立てた遠山石が配されました。また近景には石で谷川を表現した枯流れがあり、その中には近代的な造形の手水鉢が据えられ、流蹲居を造られました。

この様な機会に自然素材を介して、庭造りを造園業者以外の方に体験していただき、如何に庭造りが人の心を和ませる行為かを理解して頂けたので、私共も喜んでおります。
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柳沢吉保所縁の石燈籠修復・奉納-1997-
壺井八幡宮
修理前の燈籠の部品
 
   修復後の宝珠全体写真
 
宝珠修復部分拡大写真


羽曳野市壺井には、壺井八幡宮と摂社として壺井権現社があります。壺井八幡宮は、前九年の役(1051年〜1063年)の際、源頼義と義家父子が石清水八幡の神霊を奉じて東北に出陣し、平定に成功。本拠地壺井に戻って、1064年に勧請したものです。また権現社は、義家の五男源義時が、1109年 源氏の氏神(源氏三代を祭る)として創建されたものです。

燈籠は、羽曳野市指定有形文化財産で、壺井八幡宮境内の壺井神社前に二基、一対で据えてあります。壺井八幡宮は、戦国時代の兵火で荒廃してしいましたが、元禄十三年(1700年)幕府により再建されました。その際、工事の責任者、柳沢吉保が燈籠を寄進した事を示す刻銘が燈籠の竿の部分にあります。柳沢は五代将軍徳川綱吉の側近で、赤穂浪士討ち入り事件にかかわった事でも知られます。

この度、私共で修復・奉納させて頂いた部分は、昭和20年前後に壺井周辺に大きな地震があり、その時に燈籠が倒れて傷んでいた部分です。宝珠と笠の簸手部分2箇所と火袋で、そこを同じ種類の石で修復させて頂きました。

修復前の笠
 
一部修復しもう片方の下地作り
 
下地の上に接着する原石
原石を下地に接着した状態
 
接着した原石を彫刻中
 
接着した原石を彫刻中
同じ種類の石材で火袋を
新しく製作中
 
細心の注意を払って丁寧に作業を進めます
 
文字の彫刻は職人さんの
手作業です
修復した部品を壺井八幡宮で
据付ているところです
 
  修復が終わった燈籠
 
  修復が終わった燈籠
据付にも細心の注意を払い作業します
全ての作業が終了しました
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個展「第二回KOJUN展」-1998-
artspot空
石のテーブル・インパラブラック
 
自然の形を活かした水鉢です
一番小さい池の庭を石で表しました
 
お客様が一目惚れしてこのシリーズお持ち帰られるので「ひとめぼれ」と命名しました
勾玉を水鉢で表現しました
 
バルモラルレッドという北欧の赤石で「麿の沓」を作りました
         
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作庭大安寺露路-1998-
臨済宗東福寺派布金山大安寺
近畿環境緑化叶緑化園
躙口(にじりくち)周辺改修前
 
躙口(にじりくち)周辺改修後
井戸構え改修前
 
井戸構え改修後
待合改修前
 
待合改修後
 大阪府堺市に在る大安寺(重要文化財)の保存修理工事に伴い、社寺建築をされている松原工務店さんから露路の改修について御相談をうけ、早速、現場を見させて頂きました。大安寺の建物は、桃山時代の堺の豪商納屋助左衛門が贅を尽くして普請した豪華な邸宅を移したものを伝えられ、昭和三十年春に重要文化財に指定を受けている事から、現状の荒れた茶屋を少し手をいれて外見をきれいに片付けるというような方法よりも、茶室・待合・隠居といったお茶事の空間要素を考慮して、改めて茶庭を作庭する方が、この先代々受け継がれていく大安寺の茶庭としては価値の在る事と判断しました。これに伴い、茶室・数奇屋建築の設計をされている京都林泉協会役員の佐藤昭庵師の指導のもと、あとりえKOJUNとその仲間である近畿環境緑化鰍フ小林伸一氏と泉緑化園の上野稔氏達の協力を得て、材料は現場に在る材料を有効的に使い奉仕活動として、この素晴らしい茶庭の完成を迎える事が出来て本当に嬉しく思います。また、大安寺の方々にも大変喜んで頂けました。
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個展「第三回KOJUN展石庭やまと」-1999-
東日本ハウス(株)やまとプラザ東京
石庭−やまとー
石庭−やまと−
 大和には、三輪山の日の出と二上山の日の入りが人々の生活の原点だと言い伝えられている。大和国中と呼ばれる大和盆地には、東と西に対岐する二つの山の昇陽と落陽が、国中で行われてきた稲作農耕と深い関わりを持っていたからであった。ここに立つと春耕が始まる春分の日には、三輪山の山頂からの日の出を、秋の収穫の始まる十月初旬には、二上山の山頂への日の入りを見る事ができる。つまり、春と秋、二つの時期にここで神迎えと神送りの儀礼が行われたことを物語っている。

 また、先人にとって太陽の運行は、魂の去来を想わせるものであって、西に沈む太陽に死後の世界を想い、再び東から出現する陽光を魂の再来と考えていた。二上山の彼方は「妣が国」と呼ばれ、そこに死者を送るとき、母の懐に帰ったその魂は東方から現世に甦ると考えていた。この事を踏まえると、二上山の西麓に聖徳太子をはじめとする飛鳥王朝の葬送の地となった事も疑う余地が無い。

そこは、私が生まれ育った太子町で、「王陵の谷」や「近つ飛鳥」とも呼ばれている。太子町の真中にシルクロードの東の端である「大道」竹内街道があり、六世紀頃には遣隋使、遣唐使そして、大陸からの渡来人や使節団の往来で賑わっていた。この「大道」の終着点の飛鳥の京は、大陸と自国との持ち味を融合した文化の発展を遂げ、重要な大陸の使節団を迎えるハレの舞台であった。このような「やまと」にまつわる事柄を主題に、やまとプラザ東京での作庭意匠に至った。

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雲竜で表した山麓の景色   石積を表した創作あかり
 
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個展「第四回KOJUN展石展」-2000-
artspot空
北の聖獣玄武(げんぶ)
西の聖獣白虎(びゃっこ)
 屋外・屋内の展示空間を東・西・南・北と四つにわけて各々の方角を司る聖獣を想像してその聖獣が宿るといわれる空間を石を用いて構成しました。

東には、青龍が宿るという流水・西には、白虎が宿るといわれる大道・南には、朱雀が宿るといわれる池・北には、玄武が宿るといわれる丘陵

上記の四つの条件が揃った空間は、聖獣が周りから入ってくる邪凶から守ってくれるという古代中国から伝来した考えがあります。新しい時代の始まりの安らかなる事を祈願してこの度の個展の設えとしました。
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西の聖獣青龍(せいりゅう)
南の聖獣朱雀(すざく)
   
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エキスポランド-2000-
ガーデンフェスティバル2000
共同製作近畿環境緑化梶E褐b那興産
朱雀門

この庭の主題は、2000年の干支、辰に因んだ「龍」です。暦の上では、2000年の辰年は庚辰と言いまして辰年の中でも強い力が与えられる星回りです。このような龍の厳かな力強さを空間に表しました。

基本的な地割は、古来中国から伝来した「四神相応」という考えを取り入れました。庭の周囲を樹木と石塀を巡らし、それを山と見立て、山を東西南北にわけ、伝説の聖獣を青龍、白虎、朱雀、玄武を配し各々にまつわる色や形を各方位の意匠としました。その中でも青龍は庭の主題であるので、主庭と捉え、五石の青石で岩組をしその中を縫うように石樋で三段の滝を設え、天に昇る龍の姿を表しました。
写真:朱雀門
写真:白虎
写真:玄武
写真:主庭青龍・広場
写真:主庭青龍・広場
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共同展示会-2000-
ガーデン植花夢
OM環境設計・あとりえKOJUN
ファイヤーフェアリ燈籠(あかり)の状態






ファイヤーフェアリオーブンの状態
 
ファイヤーフェアリお釜の状態
 
石燈籠(いしどうろう)の始まりは、神様仏様に灯明を捧げるために作られて神社やお寺の境内に奉納されました。その石造品の美しい姿に、古い時代のお茶人が注目し、日中のお茶会では、石燈籠を石造美術品、工芸品としてその美しさを鑑賞し、また、早朝や夜のお茶会では、屋外照明具として使った事がきっかけとして庭に石燈籠が使われるようになったと一説で伝えられております。その発想を現代に生かし我々が考えたのがファイヤーフェアリです。アウトドアが注目される昨今、各個人が自分の楽園を庭に表現し、その中で友人やお客様を迎えて宴を開けるような石燈籠を提案致しました。ファイヤーフェアリは5段で構成してあり、5段の状態でまさしく石燈籠で、ロウソクに火をともして灯りとして使います。最上部分(宝珠、ほうじゅ)を取り、下から4段目部分(笠、かさ)に水が溜まると鳥が喜ぶバードバスになります。下から4段目部分を取り、特製のふたをかぶせると、石釜、ストーンオーブンになります。鳥肉、豚肉、牛肉などの500gぐらいの塊を石釜の上から吊るして炭火で焼くと、石特有の遠赤外線が有効に働き非常に美味しいローストチキン、ローストポーク、ローストビーフに焼きあがります。その他使い方は様々です。それから3段目部分を取ると、おなべやダッジオーブンをのせて煮炊きが出来るお釜になります。ファイヤーフェアリが1基あると4通りの使い方で、お庭を楽しんで頂けます。
 
ファイヤーフェアリを使ってガーデンパーティーを開きました。






ファイヤーフェアリをオーブンの状態にしてお肉を焼いています
   
   
   
大阪狭山市の狭山池にあった竜神王社の石垣の石を加工して流れをつくりました
    この細流は日本最古の歴史書である古事記、日本書紀にも登場する狭山池の龍神王社の石垣から作られた作品です。この石は、平成の大改修のとき、文化的価値判断の乏しい事業主、設計者や施工者によって処分されようとしたところを褐b那興産が全てを負担して引き取らせて頂いた石です。

 狭山池は古くから農業用貯水池で、農業を営んで生きていく上では重要な池でした。その池の度重なる洪水などの水害から護る為に、池に住わる龍神様を祀って建てられた龍神王社です。そういった人々の願いは、龍神王社の石垣の石から強く伝わってきます。何故ならば、石垣の多くの石が日本では最も上質な石の内のひとつである兵庫県の本御影石や奈良石などが使われていたことが挙げられます。また、石に刻まれた家紋や石を切った時に使った手法の痕跡を調べますと、古くは江戸時代から大正時代の石が確認されています。

 このような歴史の持つ石に、古き良き時代の優美な狭山池が存在していた事に思いを寄せて、石と水とで狭山池の細流を表現しました。
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極楽浄土の庭-2001〜2003-
和宗総本山四天王本坊庭園改修工事

  この度の四天王寺本坊庭園改修計画は、和宗総本山四天王寺の(当時)執事長を務めておられる出口順得師の要請をお受けして計画のお手伝いをさせて頂く事となりました。この計画は、「和」の精神に根ざした設計と施工で無事に完成を迎える事ができました。庭園改修計画に関わる全ての者が、「和」の精神を知り、理解を深め、仕事を通して「和」の精神を伴った活動を体現する事を目標にしました。その活動の一つに、工事関係者は、必ず現場で仕事を始める前に身を浄める事と工事の安全を祈願して般若心経を読経し、これを朝礼としました。

四天王寺の創建者である聖徳太子様は、仏教に関係する沢山の事を大陸から学ばれました。その中から日本にお伝えになった貴重な文化の一つに、衣・食・住と関わる職工の技術があります。それを再認識し、職工の仕事と、職工の技術を次の世代へ継承する事の重要性を尊重した施工体制で工事を進めました。それは、熟練職工を中心に若い世代の職工が技術を見習って仕事を進めていく方法です。熟練者と経験の浅い若者が一つの仕事を通じで対話することで、熟練者の技術と若い世代の素直な考えが融合し、職工の仕事が更に向上し、聖徳太子様がお考えになった「和」の精神に根ざした仕事になるのです。人の意識が「和」の精神によって仕事場を整え、「和」の精神でできた庭が、『極楽浄土の庭』として具体的な造形として上町大地に現れたのです。

工期 平成14年4月15日〜平成15年8月8日

統括 和宗総本山 四天王寺   執事長(当時)   出口順得 師
    和宗総本山 四天王寺 庭園緑地企画監査役 青木正之 氏

施工 株式会社 恵那興産      代表取締役 壺井宏純
    竹本庭園             代表者    竹本 滋
    ガーデンアート西野       代表者    西野功芳
    近畿環境緑化 株式会社    代表取締役  小林伸一
    環樹                代表者      駒井 修
    林商店               代表者     林 忠男
    中村重機              代表者     中村晋一

薬師の滝と瑠璃光の池
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 この庭は、中国の僧侶である善導が『散善俵』で説いた『二河白道』の喩話を基に改修、造園されている。『二河白道』の喩話とは以下のごとくである。

『二河』を水の河と火の河、『白道』を極楽浄土への道(仏法)と喩えている。すなわち水の河とは人生の順境にある時の貪りであり、火の河とは人生の逆境にある時のいかり(じん・怒り憎む事)である。

この二河は生き地獄を指している。この地獄の真ん中に極楽浄土への道(白道)が細く延びているが、凡俗な者にはこの道が見えない。しかし、極楽浄土への往生を真に願う者には見え、白道を進むと極楽浄土に達し、往生できるという教えなのである。

庭に入ると人々は、庭石で表現された釈迦三尊に迎えられ、ここで人々は「さあ、極楽浄土を目指しなさい」という釈迦三尊の励ましの声を聞き、前に進むのである。

前方には二つの滝(釈迦の滝、薬師の滝)の水の流れで池(瑠璃光の池)が広がり、真ん中に遊歩道(白道)が通っている。遊歩道の右側は貪りを象徴する『水の河』、左側はいかりを象徴する『火の河』で、二つの河が地獄を現している。

遊歩道はさらに延びて、その先には極楽の池があり、阿弥陀三尊を表現した庭石が浮かんでいる。人々は阿弥陀三尊に招かれて極楽浄土に至り、季節の花が咲き乱れる庭園の美しさと相俟って極楽浄土へ往生したかのような感動を味わうのである。

出口順得師水彩画「釈迦の滝」
出口順得師水彩画「薬師の滝」
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和宗総本山四天王寺本坊庭園「極楽浄土の庭」平面図
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釈迦の滝
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壺井八幡宮源朝臣義家公歌碑の石庭-2004〜2005-

   この度の作庭は、和歌とその作者の心象風景を庭園で表現します。その和歌は下記の通りです。

 「吹く風を 勿来の関と思えども 道をせに散る 山桜かな」 源朝臣義家公

 通釈 「戦よ もう起こってくれるな 人の命が 桜の花びらのように散っていくではないか」
                           『河内源氏の八幡信仰 高木保生 著 』から引用

 源朝臣義家公は(以下 義家公)、清和源氏の子孫で平安時代後期に『武士の棟梁』とその名を馳せた武将です。先祖が皇族の血統で、雅な文化に精通し、特に文学に長けていたので前出のような美しい和歌が生まれたのでしょう。また、後三年の役では、私財を投げ打ってでも朝廷の認めていない戦の勝利に固執した義家公が、戦に散る人の命をはかなむのは、自分の仕事である戦と、自分が信じている八幡信仰の間には、多大なる葛藤があった事と想像します。このように、和歌の心情から義家公の八幡様への信仰の深さがうかがえます。

 先のことを踏まえて、庭を構成する要素は次の様になります。庭の正面が南として、庭の中心から南側に義家公の和歌を彫刻した歌碑を主石に石組みをして、これを義家公に見立てます。その西側と北側に三つの石組みを構成し、戦の様を表します。そして、庭の中央より北側には、遠景として遠山三尊石組みをし、これを八幡大菩薩様と見立てます。八幡大菩薩様は、戦で散ると尊い人の命や、義家公をはじめ戦に関わった人の無念な想いを遠くから暖かく受け止めて下さり、浄土へと導いて下さっています。

 作庭関係者
 設計  壺井雅俊 
 施工  壺井宏純 壺井俊子 巽 正勝 山本 弘 竹本 滋 白樫 実 平田善彦 中嶋博之 糸元 晋
      大玉安男 竹本耕三

壺井八幡宮源朝臣義家公歌碑の石庭 正面から
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歌碑となる原石です
 
歌碑の原石を加工しています
高木宮司さんの原稿です
 
原稿を石に移して字を彫っています
羽曳野市 壺井、通法寺のお子さんによる
除幕式の模様です。
 
歌碑の拡大写真です
  
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桜珈琲の石庭(堺市西区鳳西町) -2006-
石庭「木花咲耶」 南より
石庭「木花咲耶」 東より
 桜珈琲 中庭計画

 石庭 「木花咲耶」 (このはなさくや)
 設計 株式会社 恵那興産  壺井雅俊

 計画趣旨

この度の作庭は、「桜珈琲」という新築される喫茶店のお名前の「桜」を計画の
主題として考えを進めていくと、その花の美しさを象徴する美しい女神様の存在にたどり着きました。
その女神様のお名前は、「木花咲耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)とおおせられます。
父親である山の神様、「大山祗神」(おおやまづみのかみ)と、 母親である野の神様、「草野姫命」
(くさのひめのみこと)との間にお生まれになった女神様です。
また、女神様は、火と山を司ることにより、火を噴く神聖なる山(活火山の意)富士山の神霊でも
あらせられます。

  前述をふまえて、「木花咲耶姫命」の父「大山祗神」を北側の石組、母「草野姫命」を南側の景石、
御神霊である富士山を中心の景石に見立てます。また、富士山の傍らに桜の木を植栽して
「木花咲耶姫命」と見立ててこの庭の主木と致します。

 最後に、「木花咲耶姫命」のお名前は、「木の花」が美しく「咲く」と理解して、物事の繁栄を象徴
するお名前であります。よって、「桜珈琲」、また、関係される方々の繁栄を祈願して、
桜珈琲 中庭計画 石庭「木花咲耶」 (このはなさくや)と題し、計画趣旨とさせて頂きます。
 

作庭関係者  金谷 作一 ・ 竹本 滋  ・ 中嶋 博之
       平田 善彦 ・ 竹本 耕三 ・ 壺井 宏純
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東から
 
北から
大型のクレーンを使って石の据付工事の様子
 
集中力を高めて砂紋をつけている様子
オーナー主催のオープニングパーティー
庭開(にわびらき)の様子 
琵琶演奏 筑前琵琶日本旭会 
大師範 竹本旭将 師 による演奏 演目「さくら」
 
この看板のお店です
  
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桜珈琲岸和田店の石庭(岸和田市中井町)-2007-
 
桜珈琲 入口からの中庭正面
正面右側からの中庭。手前から 瓊瓊杵尊 中央に 木花咲耶姫命 
奥の三尊石(三石の石組)は、大山祇神 です。
   
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渡り廊下からの中庭。手前から 三尊石(三石の石組)は、大山祇神 中央に 
木花咲耶姫命 奥は 瓊瓊杵尊 です。
桜珈琲 入口からの中庭正面 夜の景色
 桜珈琲 岸和田店 中庭計画

 石庭 「笠沙ノ碕」(かささのさき)
 設計 株式会社 恵那興産 壺井雅俊

 計画趣旨
 
桜珈琲一号店の中庭は「木花咲耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)の誕生を主題に造形しました。この度は、その続きの物語です。「木花咲耶姫命」が笠沙ノ碕(かささのさき 現在の宮崎県延岡市愛宕山付近)で佇んでいるところを太陽の神様に命を受けて天界から笠沙ノ碕に降臨された「瓊瓊杵尊」(ににぎのみこと)が、女神様の見目麗しいそのお姿に心を奪われます。そして、女神様の父親である「大山祇神」(おおやまづみのかみ)に結婚の申し入れをされ、快く受け入れられて目出度く結ばれるのです。この故事を主題に中庭の造形を計画します。
建物の玄関から一番奥に位置する小さい中庭は、「瓊瓊杵尊」が天界から笠沙ノ碕に五柱の神様を従えて降臨されている場面を造形致しました。建物の正面から向かって左半ばにある一番大きい景石が、「瓊瓊杵尊」です。その手前と奥に二つの景石があり、それぞれ「瓊瓊杵尊」の先を行き前から来る困難からお守りする役目をしている二柱の神様です。「瓊瓊杵尊」の右側の三つの景石は、それぞれ「瓊瓊杵尊」にお供をし、後ろからの困難からお守りする役目をしている三柱の神様です。一番左にある一石の景石と苔の築山は、笠沙ノ碕と見立てております。最後に、この中庭は天空から下を見ている構成で、白砂に浮かぶ黄金の曲線と模様は、太陽に照らされて黄金に輝く雲を表しており、「瓊瓊杵尊」がお供の神様を伴って、幾重の雲を押し分けて地上の笠沙ノ碕に向かっていらっしゃる場面を造形致しました。
建物の中心に位置する大きい中庭は、「瓊瓊杵尊」が「木花咲耶姫命」に出会われて、一目惚れをして父親の「大山祇神」に結婚の申し入れをされ、目出度く結ばれる場面を造形致しました。建物の正面から中庭に向かって中心に桜と一つの景石を配し、これを「木花咲耶姫」と見立てます。女神様に相対する位置にもう一つの景石を配し「瓊瓊杵尊」と見立てて仲睦まじく寄り添っておられるお姿です。その二つの景石と桜の後ろに三石の石組を配し、これが二人を見守る「大山祇神」と見立てます。また、この中庭の空間が笠沙ノ碕という構成です。
  最後に、この二つの中庭にいらっしゃる女神様・神様が、お慶び多き出来事に出合った場所が笠沙ノ碕であり、桜珈琲岸和田店が、笠沙ノ碕のごとき、お慶び多き場所になることと、関係する全ての方々のご繁栄をご祈念いたしまし
て桜珈琲岸和田店中庭計画 石庭「笠沙ノ碕」(かささのさき)と題し、作庭趣旨とさせて頂きます。

 施 主   東城 栄子
作庭関係者  金谷 作一 ・ 竹本 滋  ・ 中嶋 博之 ・ 平田 善彦
         竹本 耕三 ・ 山中 稔  ・ 壺井 宏純
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奥の中庭、正面左から。 手前は笠沙の碕に見立てた築山と景石 その左の大きな景石が
瓊瓊杵尊 その他の小さな景石がお供の神様です。
奥の中庭、正面右から。
   
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上島珈琲寺町店 中庭計画 (京都市中京区寺町)−2007−
 
東からの中庭
南東からの中庭
   
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南からの中庭
一番奥の客席からの中庭
 上島珈琲京都寺町店 中庭計画 作庭趣旨

 株式会社 恵那興産 壺井 雅俊

UCC上島珈琲株式会社 様が、創業以来追求してこられた自然の恵みである珈琲の品質や奥深いおいしさ、また、それに注がれた情熱、愛情、そして、珈琲の木の栽培から収穫、焙煎、販売と、自然の恵みを敬い、感謝され、自然環境に配慮された企業理念を踏まえ、作庭趣旨を考えました。 
珈琲は古代に人が人為的に作るべくして出来たものではなく、天から地上に棲むものに与えられた自然の恵みです。その自然に、感謝の意を表すべく、自然が誕生する瞬間 天地開闢(てんちかいびゃく)を趣旨に計画をさせていただきます。天地開闢とは、日本神話で、天と地に代表される世界が、初めて生まれた時のことで、次の通りです。 

まだ天と地が分かれず、混沌のうちに兆しをふくんでいました。そのうち
清らかな要素は薄くなびいて天となり、重く濁った要素はとどこおって
地となるときがきました。清明なものは集合するのがたやすく、重く濁った
ものが凝り固まるのはむつかしく、それで天が先にでき、地は後にでき
たのです。こうして天と地が開いた後、神がその中間に生じました。

日本書紀 神代 上 第一段


この庭は、一方に壁があり、三方がお客様に開かれております。庭の中心を地面と壁の継ぎ目とし、そこから壁の上方へ天の流れが広がり、中心より地面の端へ地の流れが広がり、この二つの要素が庭の大きな構成です。二つの流れが始まる中心部より展開される五石の石組みがあり、五柱の神様  国常立尊(くにのとこたちのみこと)・国狭槌尊(くにのさつちのみこと)・天御中主尊 (あめのみなかぬしのみこと)・高皇産霊尊 (たかみむすひのみこと)・神皇産霊尊 (かみむすひのみこと) が、天と地の大きな流れであり、またその中に点在する自然の広がり(植栽部分)をお創りになっておられます。これが庭の構成です。

この庭は、UCC上島珈琲株式会社 様の新たなる珈琲産業の創造と、関係される皆様のご繁栄をご祈念いたしまして、この庭を「開闢の庭」と題し、私の作庭趣旨とさせていただきます。

作庭関係者 
梶@成 美       
竹 本 庭 園
左 官  山中 稔
梶@恵 那 興 産

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長田神社 表参道大鳥居前 長田型宮燈籠 設計・製作・据付工事(神戸市長田区)−2007−
長田神社 表参道大鳥居前 長田型宮燈籠 一対
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東側
西側
   
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燈籠の基壇部分、正面に長田神社の御紋である「鶏」を 愛知県岡崎市 竹内 勲 氏(石彫刻家)が、手作業で彫刻しております。
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